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点字民報 2022年12月号 通巻678号

2022年12月5日 更新

 目次と主な記事をお知らせします。

目次

大阪視覚障害者を守る会60年の集い盛大に 古石広幸(大阪府)
Q&A インボイス制度とあはき自営業者 東郷 進(東京都)
「点字はじめて散歩」改めて点字の有難さ知る 長澤泰代(埼玉県)
継続は力なり 関西手をつなごう要請行動 政所 章(実行委員会代表・大阪府)
「通勤や職場等における支援事業」第3次調査結果
『ブラインドロードの旅』出版のお知らせ 髙林正夫(大阪府)
連載 見えない子たちとともに8 先生、おれの眼、癌なんだよね! 死ぬのかな その2 江口美和子
頒布会
全国と地域の主な予定

(目次、終わり)

主な記事

「点字はじめて散歩」改めて点字の有難さ知る

長澤泰代(埼玉県)

 11月14日月曜、全視協主催の「点字はじめて散歩」が行われ、26人が参加しました。電車のトラブルのため参加者が揃うまでに時間がかかり、予定より約30分遅れて東京メトロ後楽園(こうらくえん)駅前を出発。緩やかな登り道を15分ほど歩き、小西信八(こにしのぶはち)の墓がある傳通院(でんづういん)に到着。墓石に彫られた仮名文字の小西夫妻の名前を触りお参りしました。

 その後幸田露伴(こうだろはん)旧宅を見ながら善光寺坂を緩やかに下り、都営地下鉄春日駅から三田線で巣鴨駅に行き、徳川慶喜(とくがわよしのぶ)旧居跡を見ました。そして20分ほど歩き、12時45分に六義園(りくぎえん)に着きました。13時半まで昼食休憩です。

 その後25分ほど歩き、都立八霊園のひとつで、石川倉次(いしかわくらじ)の墓がある染井霊園(そめいれいえん)に行きお参りしました。墓石が劣化して崩れそうで触れなかったので、その周囲の囲いに触れてみました。そこから巣鴨の地蔵通り商店街に向かい、15時に解散しました。

 今回の企画では、傳通院と染井霊園で平野力三(ひらのりきぞう)さんから貴重なお話を聴かせていただきました。小西信八は築地訓盲唖院の専務、東京盲唖学校の校長などを歴任し、点字の普及と盲教育に熱意をもって取り組んだこと、小学校の教員だった石川倉次とカナモジカイで出会い、ブライユ点字を日本語点字にする翻案作業を依頼したこと、石川倉次が東京盲唖学校に着任して、当山国四郎(とうやまくにしろう)や奥村三策(おくむらさんさく)らの協力を得ながら1890年に日本語点字を考案しましたが、政府から正式に認められたのは1901年だったことが平野さんのお話しからわかりました。

 また、アメリカでは複数の人がアメリカ点字を考案したのに国が認めるまでに長い月日を要したので、日本がそうならないようにしなければという強い思いが小西信八にあったことも話していただきました。傳通院では金子正次郎(かねこしょうじろう)さんが持参したICレコーダーで、小西信八作詞の『点字の歌』も聴かせていただきました。

 今回は全視協監事の根岸民雄(ねぎしたみお)さんが絶えず気配りをしてくれながら全行程を案内してくださいました。好天に恵まれ有意義な一日を過ごさせていただき、参加してよかったと思っています。

 点字は先人たちの並々ならぬ努力により獲得した視覚障害者の大切な文化です。点字離れがすすむ今の日本。中途視覚障害者の中には点字の習得に困難を極める人もいますので、個別のニーズに応じた媒体で情報入手が出来る社会が望ましく思います。しかし、点字は自立と社会参加につながるとても大切なものだという認識は、視覚障害者全員で共有すべきだとあらためて感じました。

 全視協総務局の皆さん、参加者の皆さん、ありがとうございました。

(この稿、終わり)

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