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点字民報 2020年11月号 通巻653号

2020年11月8日 更新

 目次と主な記事をお知らせします。

目次

全視協事務所外装工事カンパのお願い
 代表理事 山城完治
日本点字制定130周年
 石川倉次の墓前にて  岡 真澄(埼玉)
 日本点字130周年に思う 柿本一志(奈良)
頒布会
連載2 推理小説の中に描かれている盲人像 坂口安吾作『能面の秘密』
 髙林 正夫(大阪)
19条裁判控訴審もう結審―判決日は東京高裁12月8日、仙台高裁14日 
 裁判対策本部長 東郷 進
新入会員 工藤順子さん(埼玉)
全視協ハイライト 全視協と友好団体・関係裁判の主な予定(11・12月)
東西南北 沖縄 Zoom NHK

(目次、終わり)

主な記事

日本点字制定130周年 石川倉次の墓前にて

岡 真澄(埼玉)

 11月1日は点字記念日です。編集委員会では、日本点字制定130周年に当たり、先月、石川倉次の墓参に出かけました。

 倉次は赴任先の東京盲学校で、後に校長となる小西信八から相談を受け、フランスのルイ・ブライユが完成させた点字を、ローマ字表記ではなく、日本語独自の文字体系にしようと、教師や生徒たちに呼びかけ、工夫と検討を続けました。使用実験や比較を経て有力な試案を3つにしぼり、ついに1890年(明治23年)11月1日の第4回選定会議で採択されたのが石川倉次の案でした。倉次の案は、初回の会議に自らが示していた「点字選定要旨」の項目、すなわち、①まちがえず早く読める、②早く書ける、③覚えやすい、④多く使うカナは少ない点で表す、⑤カナは省略せず、すべて点字にする、⑥五十音に並べても言葉にしても、見づらくない、以上の評価基準に適うと認められたのです。この点字五十音の構造と表記の基本ルールを、130年後の私たちが今もそのまま使っていることは、文字としての完成度の高さの証であると言えるでしょう。

 さて、倉次の墓は山手線のすぐ外側で、全視協事務所から歩いて二三十分ほどの染井霊園にあります。地名から思い当たるとおり、園内は桜の名所です。都立八霊園のうち一番狭いとは言え、2万坪の広さで、高村光太郎と智恵子、二葉亭四迷、幣原喜重郎らの著名人も眠っており、敷地にほど近い寺には芥川龍之介や谷崎潤一郎らの墓もあります。

 神奈川の会員の根岸民雄さんに案内していただき、敷地の北東の外れ近くにある倉次の墓に着きました。ここは訪れる人も稀のようで、ひっそりとしています。墓前に立つと、そよぐ秋風のほかにはほとんど音もなく、都心の近くながらまるで別空間のようです。倉次が86歳で没してすでに76年、ずっとこんな空気がここに流れていたのでしょうか。周りに伸びた草を根岸さんが刈りとってくれ、霊園管理所で買った花と線香と水を手向けてみんなでお参りしました。

 この墓は倉次自身が昭和7年に石川家のために建てたもので、以来88年、雨風や日照りを経て、墓標は風化が進んでいます。彫られた「石川家の墓」の文字ははっきり読み取れるものの、いくつも亀裂が走り、表面が剥がれ落ちてしまった部分があります。都会の雨は酸性度が高く、石の成分であるカルシウムやマグネシウムを溶け出させるので、墓石はすでに重い粗鬆症なのではと懸念されます。そっと手を当てると、まるでビスケットかクッキーのような触感でした。

 ところで私は後日、当時の東京盲学校から続く筑波大学附属視覚特別支援学校を訪ね、点字の資料室を見学してきました。そこには、採択からもれた鍼按科教師、奥村三策の案、生徒・伊藤文吉や室井孫四郎の案も、当時の分厚い点字用紙のまま保存されています。「アカサタナ」をアルファベットのABC順に当てはめて展開する方法や、一マス8点で表す方法など、試行錯誤の跡がわかり、自分たちの文字をつくろうという生徒職員こぞっての意気込みが伝わってきます。倉次はその後も点字の普及に努めました。翌年、京都盲唖院はこの点字の採用を決め、全国への広がりが加速しました。倉次はイギリスからの高価な輸入点字盤ではなく、誰もが手に入るよう、小石川の金属職人に頼んで点字盤や定規・点筆を作成し、独自の点字タイプライターも作りました。築地活版所に点字印刷機の製作を発注し、点字書や教材の制作にも取り組みました。そんな1冊、「ナリ・タリ」調の文体で書かれた鍼按科の解剖学の教科書は、重厚で存在感があります。

 ふと、附属盲の正門脇に、倉次の胸像があったことを思い出し、帰りぎわに確かめてみました。記憶の通りそこには、校舎の方を向く倉次がいました。和服姿の柔和な顔のブロンズに触れることができます。屋外にあるのに砂ぼこりなどなく、「点字制定70周年記念」と台座に貼られた点字の金属板も触読でき、建ててから60年に及ぶ手入れの程がうかがえました。

 染井霊園の墓もすぐに手入れし、倉次が自ら建てた時の状態を維持しなくてはなりません。

 私達は機関誌を「点字民報」と名付けています。「点字毎日」、「点字ジャーナル」をはじめ、多くの点字印刷物が発行されています。点字付き絵本の出版も広がってきました。点訳データをネットで送って端末機で読み書きすることも日常となりました。130年後の今もブライユや倉次らによる恩恵は絶大です。

 点字をつくり、普及し、発展させた方々への、現代に生きる点字ユーザーの責務として、視覚障害者団体や点字図書館など情報提供機関、盲学校や大学などの教育機関、そして全国の点字利用者が協力して、倉次の墓守をしたい。今の点字文化につながる遺産や遺品を保存しようと呼びかけたい。そして、フランスでブライユの生家が大切に保存されているように、教育や文化関係の行政機関が後押しして、日本点字の遺跡や史料を保全するよう要望していきたいと感じました。

(この稿、終わり)

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