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点字民報 2022年11月号 通巻677号

2022年11月5日 更新

 目次と主な記事をお知らせします。

目次

11月特集 国連障害者権利委員会「分離教育中止勧告」について考える 本田 東(埼玉県)
盲学校で14年、私の学業の頃 村上直人(岩手県)
出会い見合い・あいあいパーティー改め、「独身者の集い」に集まれ
ゆうちょ銀行が改善を約束
天海裁判、12月9日に高裁結審か?
デジタル化、恩恵より人減らしでサービス低下 楠田房雄(埼玉県)
連載 見えない子たちとともに8 先生、おれの眼、癌なんだよね! 死ぬのかな その1 江口美和子
総務局コーナー
 1 活動記録
 2 事務所玄関に点ブロ敷設
 3 頒布会
全国と地域の主な予定

(目次、終わり)

主な記事

11月特集 国連障害者権利委員会「分離教育中止勧告」について考える

 「私たち抜きに私たちのことを決めないで」をスローガンに、障害当事者が参加して作成された「障害者権利条約」。その目的は、障害者の人権や自由を守ること、障害者が差別されることなく、自分が希望する所で暮らし、学んだり、働いたりできるという当たり前の権利の保障です。

 日本政府は、2014年に条約を批准しました。その条約に基づき、日本がどのような取り組みをしてきたのか、国連の権利委員会による初めての審査が行われ、9月9日に「総括所見・改善勧告」が公表されました。

 改善勧告の中で、教育に関しては「分離された特別な教育(特別支援教育)の中止」が求められています。勧告に法的拘束力はありませんが、その影響は大きく、政府は対応を求められることになります。

 そもそもこの「分離教育」問題は、条約批准当初からの懸案で、根は深く、簡単に論じることは難しく、今回は一面的な私見になることをご理解ください。

 条約の24条(教育)は、様々なことを締約国(日本政府)に求めていますが、「分離教育」に関わる規定では、「障害者が障害に基づいて一般的な教育制度から排除されないこと」「障害者が、他の者との平等を基礎として、自己の生活する地域社会において、障害者を包容し、質が高く、かつ、無償の初等・中等(小・中・高)教育を享受することができること」などがうたわれています。言い換えれば、障害のある子どもは、障害のない子どもと同様に地域の学校に就学し、通常の学級に在籍することを基本とし、特別支援学校・学級は例外ということになります。

 日本政府は、条約批准当初から「特別支援教育」は「一般的な教育制度」に含まれる、との見解を示しており、平行線状態にあります。

 「分離教育」の中止勧告について、権利委員会は、障害のある子のなかに、いわゆる“通常”の学級で学べない子がいることを問題視し、分離された特別支援教育の中止に向け、障害のある子もない子もともに学ぶ「インクルーシブ教育」に関する国の行動計画を作ることを求めています。

 一方、わが国で特別支援教育を受ける子どもの数は、2021年度はおよそ57万人で、この10年でおよそ2倍に増加しました。その背景には「知的あるいは発達障害の早期発見」「本人や保護者の意向」などがあり、文科省は学校選択は「本人や保護者の意向を最大限尊重する」としています。

 インクルーシブ教育は、障害のある子を含むすべての子が、それぞれに合わせた必要な支援を受けつつ、ともに関わり合いながら一緒に学ぶことを目指します。そのためには、大幅な教員の増員や他職種との連携、教員の専門性の向上、障害の理解と障害児の人権の尊重など、解決しなければならない課題は山積しています。

 権利委員会はそうした状況を認識していますが、それでもインクルーシブ教育を求めているのは「分離教育は分断した社会を生み出す。インクルーシブ教育は共に生きる社会を作る礎」という理念・理想に根ざしているからです。

 しかし、その理念・理想と日本の教育現場の状況とは極めて大きなギャップがあります。日本の教育予算は、対GDP(国内総生産)比(2019年)でOECD(経済協力開発機構)加盟38ヵ国中37位と、最低レベルにあると言われます。欧米の先進諸国と比べて通常学級の1クラスの子どもの人数は多く、教員の数は少ないと言われます。その影響もあり、障害のない子どもたちにおいても、いわゆる落ちこぼれ、いじめ、そして不登校の増加など厳しい現状にあります。上記の特別支援教育を受ける子どもの数がこの10年で倍増した背景には、手厚い教育が保障されている特別支援学校を希望するケースが増えていることもあります。インクルーシブ教育を進めるためには、その前提として、通常学級の抜本的な教育条件の整備・充実が不可欠です。

 前述したインクルーシブ教育の必要性について「分離教育は分断した社会を生み出す。インクルーシブ教育は共に生きる社会を作る礎」との指摘は、基本的には正しいと思います。しかし、鶏が先か卵が先かではありませんが、今の過度な競争主義の生きづらい社会を改善しなければ、子どもたちのストレスや生きづらさを改善することもできないのではないでしょうか。過度な競争主義社会を、人に優しい社会に変えるとともに、教育条件が整備・充実される中で、一歩一歩、理想に近づいていくのではないでしょうか。

 加えて、視覚障害児の教育で言えば、視覚障害は他障害と比べて人数の少ない障害であるため、地域の学校では視覚障害のある子どもは1人いるかどうかという状況になります。そのような中で、通常の学習に加えて、点字や弱視レンズ、歩行などの特別な指導・支援が十分に受けられるか、晴眼の子どもたちのペースの中で授業についていけるか、視覚中心の体育や理科の実験などはどうするのかなど、心配な面は少なくありません。そして、同じ視覚障害がある集団との関わりが経験できないことも気になります。

 このような状況の中で視覚障害児は、視覚特別支援学校(盲学校)で、その子の状態にあったペースでゆきとどいた教育を受けるのか、通常の学級で特別支援学校等の支援を受けつつ晴眼の子どもたちと学ぶのか、自分にとってどちらが望ましいのかを選ぶことになります。そこで欠かせないのが自己決定権の尊重・保障であり、そして望ましい選択をするためには適切な情報提供と相談支援体制の充実が欠かせないと言えます。まさに「私抜きに私のことを決めないで」と言えるのではないでしょうか。

(この稿、終わり)

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